ピンクリボンアドバイザーがこたえます
もっと知りたい、がん患者さんの気持ち
がんを告知され治療法を選択するとき、どのようなことを考え、悩みましたか?
乳房再建手術を希望しましたが、当時は全摘※1かつ自家組織の再建※2しか選択肢がなく、行き詰りを感じました。
(体験したがん種:乳がん 告知を受けてからの年数:4年)
※1 乳房切除術(乳房全摘手術)。乳房をすべて切除する手術。
※2 自分の体の一部(自家組織)を使って乳房を再建する方法。治療当時、シリコンを使ったインプラントによる再建方法は、一部の海外製インプラントのリコールにより実質的に不可能だった。
私の場合、がんを経験した知人が多くいたので、がん=死、というイメージは薄く、不安なことといえば、これからどんな治療を受けることになるのか、治療の期間が長引くのかということでした。
初めのうちは、やはりネットの情報をみていましたが、膨大すぎて、自分にとって本当に有益なのか……とむなしく思えてきて、結局、書籍をあたることにしました。できるだけ版の新しい、信頼できそうな本を選んで、主治医にも確認していただきました。
わからないことや疑問に思うことは書き出しておき、ひとつひとつ、主治医の先生に伺いながら治療を進めたので悩むことはなかったです。丁寧にお話してくださるスタッフのかたにも恵まれました。
(体験したがん種:乳がん 告知を受けてからの年数:9年)
がんができている部分のみを切除する“温存手術”か、乳房をすべて切除する“全摘手術”をするか悩みました。温存手術をする場合も病院によって、術後の乳房の見た目にかなりの差がでることがわかり、最初にかかった病院で手術の方式を聞いた後、他の病院でセカンドオピニオン※1を受けました。 結果、温存手術をしましたが、術後の乳房がイメージ通りかと言われたら、複雑ではありますが「こんなもんか」という気持ちにもなります。
※1 診断や治療選択などについて、現在診療を受けている担当医とは別に、違う医療機関の医師に求める「第2の意見」。
(体験したがん種:乳がん 告知を受けてからの年数:8年)
はじめに考えたのは仕事のこと。学校の非常勤講師をしているので、決められたカリキュラムをこなせるのか、授業を休まず行けるのか、手術の日程とその後の治療スケジュールについて考えました。また人と接する仕事をしているので、外見的な変化についても悩みました。ほかにも、母の通院や買い物など、日常生活への負担も不安に感じました。
乳がんになって手術や治療で失ったものもたくさんありましたが、生徒たちや友達、仲間からの優しさや心づかいをいっぱいもらうことができました。自分にとって本当に必要なものを実感でき、心身ともに捨てるべきものを捨てることができたように思います。むしろがんになったことが、私にとっては必要なことであったのかもしれないと思えています。
(体験したがん種:乳がん 告知を受けてからの年数:3年)
ステージ1でしたが、患部を切除し病理検査するまで「遺伝性なのか」「乳房は一部を切るだけでよいのか」「全部とらなければいけないのか」わからず不安でした。
治療方針は基本的には医師の推奨する方法から選択しましたが、罹患する1年ほど前にピンクリボンアドバイザーの勉強をしていたので、知識がゼロの状態ではなくとても良かったと思っています。
(体験したがん種:乳がん 告知を受けてからの年数:1年半)
再発や転移の確率を減らす治療を模索しました。
(体験したがん種:乳がん 告知を受けてからの年数:4年)
しこりに気づき、病院に言って診察を受けました。精密検査の結果でがんと告知を受ける前から自分で色々と調べ、乳がんと診断されたら全摘(乳房を全部切除)すると決めていました。
私はセカンドオピニオンで治験※1に参加することを決めたので、抗がん剤の選択肢はありませんでした。また子どもが欲しかったのでホルモン治療は先生にお願いして途中でやめました。
「治療は生きるために受けるしかない!」と思いましたが、「妊娠できないかも……」という現実が一番辛かったです。結局、授かることはできませんでしたが、先生もいろいろと考えて寄り添っていただけたので救われました。
※1 新しい医薬品・医療機器等について安全性および有効性を検証し、厚生労働省から承認を得ることを目的として行う試験。
(体験したがん種:乳がん 告知を受けてからの年数:10年)